これまでの僕の原動力は評価、承認だった。もう手放すとしたら、このさき何を糧に生きよう?
今のままではダメだ!
とずっと思っていました。
そのために、本を読んだり、資格の勉強をしたり。
やりたいことがないから
目の前の仕事を頑張ろう。
今の仕事に役立つための勉強をしよう。
人事異動のたびに、違うスキルを求められ
そのたびに方向転換を図ってみたり。
結局散らかって、ほとんど身についていない。
少し前に
やりたいことも得意なこともわからないという記事を書きました。
そう。
何もわからない僕の原動力は、自分自身の、そして他人の評価でした。
できる自分、すごい自分になりたい。
そんな自分でいたら、人から認められる。
自分ではそんなに意識してなかったけど
心の中ではすごく気にしてたんです。
けっこう周りの人からは
人からの評価を「全然気にしてないな、羨ましい!」とか言われます。
でも本当はフリをしていたんです。
心の奥ではすごく気にしてたんです。
たぶん
人から認めてほしいと願う
自分のことにすら認められず
気にしていないフリをしていました。
自己肯定感は低いのに、自尊心は高いのです。
いや自己肯定感が低いからこそ、自尊心が高いんですね。
ここでいう自尊心とは、
自分を優秀な者だと思う気持ち。尊大に構える心。プライド。
という意味で使ってます。
傷つきたくなくて、感じないようにしていました。
そんなことをずっと考えることもなく、蓋をしていたのです。
以前、なにかでこんな文章を読みました。
左手が現実、右手が理想とします。
手を合わせてみましょう。
ほら、現実と理想がぴったり合ったでしょう。
毎日、手を合わせたりしてましたよ、ええ。
現実の自分と理想の自分のギャップが、
あまりにも大きくて苦しんでいました。
だからこそ
自分と他人の評価を得たくて
認めてもらいたくて
周りの人よりも優れた自分でいたくて
それが原動力となって
これまでどうにかこうにか進んでこれたのです。
ほんとにくだらない思いですが
でも、このエンジンがあったからこそ
もともと適当で怠惰で、高いスペックも持ち合わせていない自分を
自分で自分の尻を叩いてこれたとも言えなくもない。
これは
「マズローの欲求段階説」でいう第4欲求の「承認欲求」でしょうか。
【マズローの欲求5段階説】
1「生理的欲求」
2「安全・安定の欲求」
3「所属と愛の欲求(社会的欲求)」
4「承認の欲求(尊厳欲求)」
5「自己実現の欲求」
人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて
低次の欲求が充たされると
より高次の階層の欲求を欲するというものです。
かといって、
僕自身その「承認欲求」の下の
「所属と愛の欲求(社会的欲求)」が
充たされているかと
自分で問うてみたところで
はなはだ疑問ですが。
これから先も
この承認欲求を持ちつづけて
進んでいくこともできなくもない気がしますが
だいぶ疲れてきている自分がいます。
今、受講しているTLI講座の講師である
大塚彩子さんのブログのタイトルは
自分にOKを出して前に進む!
(このブログは本当におもしろいです。
タイトルを見るだけでも気持ちいいです。)
ですが、
僕は
自分にOKを出すために前に進む!
そんな感じで今までやってきたような気がする。
そして、どこまでいってもOK(理想の自分)にならない自分がいる。
小さな成功体験を積みましょう
ってよく言いますよね。
自分自身、成功体験が少ないのは否めませんが
積んでみたところで、いつも不安だったんです。
ダメな自分に出会うとすぐに、すぐに崩れてしまうのです。
そして、また積み直し。
行動で存在は埋まらない。
だそうです。
いくらできたところで、
潜在意識が認めていなければ
根本的な自己評価は上がっていないんですね。
現実の自分にOKを出した上で進めたら。
こんな素晴らしいことはないですよね。
もうそろそろ別のエンジンに載せ替えたい。
よく家族のために頑張るっていいますよね。
でも、僕の中ではそれは違うんです。
家族は大事だけど
あくまで自分なんですよね。
新しいエンジンは自分の中にあるのかな。
マズローの言う第5欲求の「自己実現の欲求」でしょうか?
TLI講座を受けようと決める前に
ずいぶん遠回りをいるんじゃないかという思いがしていましたが
遠回りどころか、逆戻りをしているかのような気分。
ブレブレに歩いてきたけれど。
いや、そもそも自分の足で歩いているというよりも
流れていたと言った方が正しいけれど。
今は遠回りもしくは逆戻りだと感じてるけど
これを前進だと受け入れられるようになりたい。
自分で自分の人生を選んだきっかけだったと振り返る日が来ますように。
そのためのエンジンは
いきなり「自己実現」なんて考えても回らない気がする。
始動はやっぱり「好きなこと」「したいこと」探しからだ。