できない、ムリという病
他人と比較しての自分
「自分にはできない、無理」
こんな風に思うことってないだろうか?
僕はよく思ってしまう。
自分より立派な人、優れた人と比べて、自分には無理ってすぐに無意識に反応してしまう。
そのスピードといえば、ほんと高速だ。
最近の高速な通信規格よりもずっと優秀なんじゃないだろうか。
そんなことを思っていて、ふと見渡してみるとこの病気、そこらじゅうに溢れている。
部下に指示をしたら
「いや、私には無理です」
「難しいことはできません」
関連部署に依頼したら
「頭が悪いので、わからん」
先日、小学生1年生の息子からも
「不器用だからできないよ」
という言葉が!
……蔓延してるよ。
なんで、こんなにもたくさんの人が感染しているのだろう。
にもかかわらず、そんなに問題視されていないような気がする。
みんな、感染していることに気づいていなさそうで、大したことだと思っていない様子。
全然深刻じゃない。
ちなみに僕は結構な重症患者だと思うが、本人が重く受け止めている場合にだけ、この病は問題となるようだ。
何もそんなに難しいことばかりについて、言っているわけではない。
やれば、できるようなことでも、すぐに症状が出る。
この病気に感染すれば、ついつい無自覚に「できない!」「ムリ!!」 という言葉が口をついて出る。
そして、この後もっと深刻な病である思考停止という症状がもれなく現れる。
「できない!」=「ムリだから考えなくいい」
どうして、この病気はこんなにも蔓延しているのだろう。
どうして、この病気はそれほど深刻に捉えられていないのだろう。
気持ちだけの問題?
確かに人には能力差がある。
いや、人だけじゃなくあらゆる生き物にあるのだろう。
猿とかの集団行動をする動物にも階級とか序列があるという。
「やれば、なんでもできる」
「その気になれば、できないことなんてない」
そういう言葉はよく聞く。
でも、僕はこの言葉が100%正しいとは思えない。
人には向き不向きがある。
もちろん、努力すれば必ず上達するだろう。
1万時間の法則と言われるくらいだから。
でも、それは個人だけで考えればであって、同じ時間努力してもその結果は人それぞれ当然異なる。
「才能とは、上達するまでにかかる時間の差でしかない」
という言葉もある。
でも、それってとても大きいと思う。
だから
「続けられることも才能」
なんていう言い訳っぽい言葉もあるわけで。
人は成長する過程において、うまくいかなかったり、失敗したり、人と比べたりして
自分にはできない! っていうことを経験していく。
そういう経験値が高くなるほど、無意識にどんどんウィルスは侵入してくる。
気づいていない間に感染してしまう。
それと同時に、できることも味わってきた人は、私はできないこともあるけど、できることがあるから大丈夫だと考えられる。
また、深刻に考えていない人は、できなくても特に気にしない。
本当に真剣に思っている人ほど、辛く苦しい症状が現れる。
スポーツに興味がない人はオリンピックに出たいとは思わない。
見るのを楽しむだけだ。
そこに苦しみはない。
仕事はお金のためにしていると思っている人は、できなくてもうまくいかなくても気にしない。
誰かが代わりにやってくれるから。
できないことを認めたくない人だけが、感染して苦しむことになる。
どうしてできないんだ!
どうしてもっとうまくやれないんだ!
どうしてもっと早く理解できないんだ!
どうして、もっと……
できないことを認められないことは、いい方向に働くことも、悪い方向に働くこともあるだろう。
自分に厳しかったり、思い込んでいたりすると、できないこと、足りないことばかりにフォーカスしてしまいがち。
でも、本当にそうだろうか?
本当にできないことばかりなのだろうか?
確かにほとんどのことを自分より上手に早くできる人がいるかもしれない。
でも、それは自分ができていないというわけではないということ。
そして、それは負けているとは限らないということ。
もしかしたら、その相手も同じことをあなたに思っているかもしれない。
冷静に考えてみたら、できていることも必ずある。
自分にもできそう!!
自分にはできない!!
どちらに傾くかはほんの少しの違い。
絶対優位と比較優位
経済学に「比較優位」という考え方がある。
イギリスでアダム・スミスの後の経済学者デヴィット・リカードが提唱した貿易における概念だ。
アダム・スミスが唱えた「絶対優位」の逆の考え方となる。
例えば、Aという国とBという国があって、A国は農業でも工業でもB国より生産性が高いとする。
この場合、A国はB国と貿易などせず、何もかも自国で生産した方がいいというのが「絶対優位」の考え方。
しかし、実際のところはお互いが生産してトレードする方が結果として総量は大きくなるというのが「比較優位」の考え方だ。
何とな〜く、騙されているような言いくるめられているような感覚を覚えるが、結果論としてはそうなる。
下記サイトで、うまい具合にビジネスにおいてもこの「比較優位」の考え方が応用できることを解説してくれている。
この考え方は、経済学だけではなく仕事においても日常においてもあてはまると言える。
そう、
うまくできないことがあってもいいんだよね。
できないことはやって貰えばいいんだ。
代わりにできることをしてお返しする。
それについて、もっとできる人たちがいてもその人たちだけで世の中の全てを賄えるわけではないということ。
できること、やりたいことを探して、やればいいんだよね。
これだけで、この病気の苦しみから逃れられる。
そうやって一人ひとりが自分の得意なことをして提供しあえれば、この社会はもっと居心地がよくなって住みやすくなる。
感染した病を癒しながら、そんなことを考えている。
アンビバレンス
と、そんなことを言いつつも、自分の考えに素直に納得できなかったりする自分も存在している。
心のどこかで納得しても、好き嫌いやプライドなんかが邪魔したりする。
ここまで書いてきたことと矛盾するけれど
自分にはできないと思いつつも、心を見つめてみると、やればできると思う自分も存在している。
どこかしらで人は、自分の力を大きく考えながらも、自分なんかでは何もできないという思いを持っているもので、逆もまた然り。
そんな矛盾と日々葛藤している自分に早く終止符を打つことを望んでいるものの、いつまでも続けてしまうのかもしれない。